The Flying Houses
(空飛ぶ家)

人類学的研究の主要なテーマの1つは、「住処」、そして社会が置かれている「環境」です。個人レベルでは、住まいとはそこに住む人の延長線上にあるもので、これは人間として生きることの結果として、住民が受ける影響により、形が変わります。「空飛ぶ家」は、パリの国際色豊かな貧困区域にヒントを得た作品です。この貧しい地域では、先の見えない日々の不安定な生活が、憂慮すべき現実となっています。それはとりわけ、ジプシーやアフリカからの移民に顕著に見られます。都市のコンテクストを離れ、名もない通りと断絶したこれらの建物は、そこに住む人々の生活を、そして住民の夢や希望を語っています。この写真は大判なので、見る人は、リアルな構成の中に隠された細部を発見することができます。このため、写真との間の距離によって2つの別々の解釈が生まれます。つまり、遠くから見ると、風変りな家々が立ち並ぶのどかな光景に思えますが、近づいてみると、その細部からもの悲しく複雑な物語が見えてきます。アーチストはこの距離を利用して、異なる視点を提示し、先入観と偏見への注意を促しています。
「偉大な幻影」は、遠くから見ると、都市から解き放たれた魅力的な「ノアの箱舟」のようですが、近づくにつれ、この建物が、大きな期待と幻影を抱いてアフリカから渡ってきた移民が住む危険な場所であることがわかります。これは彼らの長い旅のメタファーで、とりわけ地中海における悲劇を想起させます。
「キャラバン」は、一見すると、旅、自由奔放な生活、自由といったイメージを連想させますが、近づいてみると、これが国外に追放されたジプシーたちであることがわかります。彼らは欧州連合の圏内を移動する権利を持っていますが、仕事に就くことは認められていないのです。この作品は、彼らを招き入れる一方で、退去を促すやり方を皮肉っています。
「壁にあるのは」では、壁紙に描かれたあらゆるものが人生を語っています。近付いてよく見ると、ベッド、十字架、ナイトテーブルなどから、人間がここにいた形跡に気付きます。まるで印画紙のように、その「時」が印刷されているのです。ここでは、考古学者になった気分で他者の生活を垣間見るのです。
「赤」という作品は、ジジ・バンボーラの悲しい実話です。ジジ・バンボーラとは人間でしょうか?それとも猿でしょうか?1908年9月にボルネオ島からやってきたジジ・バンボーラを見た時、パリの住民は首をかしげ、「黒人女性とゴリラから生まれた猿人」だと言ったりしました。毛が1本もなく、人間のように見えたのです。世界中の新聞紙上で議論が沸き起こりました。学者らは混乱していましたが、やがて動物学者たちが、「この不運なジジ・バンボーラは、決して吐き気を起こさせるようなある種の進化論の証拠などではない。ただの皮膚病に罹った粗野なチンパンジーにすぎない」と宣言するに至りました。
「マクド」-「貧しい家」と「貧しい食」とが出会うと…。おそらく窓際の子供は、そう自問することもないでしょう。
「干してある下着」-パリ北部ラ・シャペルの貧民街から遠く離れたビルに下着が干したままになっています。その住民はもう歓迎されていません。見たところ誰もいないようですが、よく見ると、そうではないことがわかります。
喜劇、ドラマ、詩、暗闇、笑いと涙、といった構成要素は全てそこに存在しており、全てのものが絡み合っています。作者はいくつかヒントを提供しているものの、これらの空飛ぶ家は自由な解釈が可能で、最終的には見る人が自分なりに捉えることができるようになっています。

 

写真家について
ローレント・シェエーレは、1972年パリ生まれのフランス人アーチスト。
ウェブサイト: www.laurentchehere.com

 

 

 

 

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