Home Lost -FUKUSHIMA Landscapes-

2011年、福島第1原発は水素爆発で放射性物質を撒き散らした。事故後すぐから取材し続けた私は、福島における故郷の喪失と目には見えない放射能の被害を可視化するために風景を記録した。
私は長年の撮影を通じ、自然に変化したもの、人工的な変化が混在する状況を目撃してきた。自然が人工物を浸食し、田んぼにはみるみる雑草が生い茂り里山の風景はなくなっていった。それは魔の手が徐々に押し寄せてくるようでもあり、逆に元の状態に浄化されていっていると思うときがある。故郷へ戻れることは現実的でないことを誰もが理解していながらも、国が行っている除染によって庭や農地は不自然なほどきれいになった。
事故から3年後、私は福島に移住し、居住者としての視点から福島を撮影することによりそこに存在する不条理に気づいた。
その他の地域では忘れかけられている原発事故は、ここ福島ではその影響が日常生活の一部になっている。今でも、恵みを受けられるはずの先祖から受け継いだ土地は破壊され、当たり前に存在した人々のコミュニティが破壊され続けている。住民はそこにある故郷に住むことができず、荒廃していく姿を時々なすすべなく見つめている。
つまり私はこの原発事故の大きな被害は「分断」であると感じ始めたのだ。境界線が生まれ、それ自体が問題だったのだ。はじめ一定の距離によって強制的に避難させられる区域とそうでない区域に境界線がひかれ分断された。
その境界線のこちらとあちらで避難するか避難しないかが大きな相違となる。賠償金がもらえるかどうかなどの全ての線引きがこの境界線であり、その線は住民同士の心にも大きな境界線を引いてしまったのだ。荒れ果てた田畑の風景は線を一歩越えれば、黄金色の田園風景となる。人が全くすんでいない場所から線を越えれば一見なんら普通と変わらない人々の営みがある。その風景は奇妙であった。引かれた境界線は事故から6年のうちに、放射線量によってひき直された後、避難指示の解除で次々と線が移動して行った。物理的に土地に引かれた境界線は変化し続けても、人々の間に引かれた線はもう元には戻らない。
同じ地域に住み、福島の人たちと関わり、私は彼らの不条理を共有する。このプロジェクトは、福島に住むことを選んだフォトグラファーの個人的視点から、福島の元に戻ることのない分断された生活と土地を視覚的にとらえたものである。

 

写真家について
1977年長野県生まれのフォトジャーナリスト。2001年から活動をはじめ、アジア、中東、バルカン半島などの写真を撮る。2003年から日本の全国紙のスタッフフォトグラファーとして、東京、仙台、大阪、福島を拠点に国内外のニュースやストーリーを撮影。現在は再びフリーとして福島市に在住し、東日本大震災と福島第一原発事故の取材も続ける。コニカフォトプレミオ、Prix de la Photographie Paris 銀賞、Critical Mass Top 50など受賞。コニカミノルタプラザ(東京)、ギャラリーサラエボ(大阪)、ニコンサロン(銀座、大阪)などで写真展。The Power House Arena(ニューヨーク)、Southeast Museum of Photography(フロリダ)、Corden|Potts Gallery(カリフォルニア)、Kateshin Garrely(ニューヨーク)などで福島の作品が展示された。MumbaiI Photo Festival 2017, Head On Photo Festival 2017 に作品が参加した。nternational Center of Photography(ニューヨーク)に福島の野馬追シリーズ作品が収蔵されている。オンライン新聞 「The PHOTO JOURNAL」主宰。近著に「1500日 震災からの日々」。
ウェブサイト: www.yukiiwanami.com

 

 

 

 

 

 

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